「かまくら旬の山」は、鎌倉近隣の山歩きを主体としておりますが、一歩範囲を拡大したい人へのご案内です。
➊ 神奈川の山々へ
国内にもコロナが蔓延し、2020年には東京都や神奈川県は越境の自粛を求めました。自分もそれに応じて、2020年からの2-3年を神奈川県内限定の山歩きに切替えました。それらのコースをご紹介します。
① 箱根山塊
箱根は主峰周辺が2015年の噴火依頼の入域禁止が続いているようです。基本、外輪山が主体ですが、それなりに楽しめます。また、丹沢山塊と箱根山塊の間には、小さいが顕著な矢倉山塊があります。
② 大山山塊
この山塊は、古来から大山阿夫利神社を祀る霊山で、初歩ハイキングのメッカとなっています。但、大山ハイキングは表参道を主体とした上半部に集中していますが、その山体は大きく裾野の先には弘法山を主体とした丘陵があります。また、大山の東側は三峰山塊に連なり、その先には仏果山を主体とした顕著な相州アルプスがあります。この山塊は、古来から大山阿夫利神社を祀る霊山で、初歩ハイキングのメッカとなっています。但、大山ハイキングは表参道を主体とした上半部に集中していますが、その山体は大きく裾野の先には弘法山を主体とした丘陵があります。また、大山の東側は三峰山塊に連なり、その先には仏果山を主体とした顕著な相州アルプスがあります。
③ 丹沢山塊
丹沢は首都圏のハイキングメッカで、その東西に伸びる山塊の大きさに加え、急峻な沢山の沢により沢登りのメッカにもなっています。東丹沢の方が交通の便も良くコースも整備され山小屋も多くありますが、西丹沢は山が深く便も悪く深山幽谷さに富んでいますが、道迷い事故も多発して避難小屋が沢山あります。
❷ 更に上を目指す人へ
国内の山数は、1万6千を超えるという。近年高齢登山者に人気の日本百名山巡りも良いが、けじめを付けない限り山登りに切りはない。国内の夏山をしらみ潰しに登るのも良いが、やはり難度を上げた岩登りや冬山は山屋冥利に尽きるものだ。しかしこの段階では、個人レベルでのトライアルは危険で、それ相応の団体に所属するのが好ましく思う・・・。
① 山登りを追求して辿り着いたものとは・・・
究極的に山登りを突詰めて行くと、より困難を求めるアルピニズムに行着く。アルピニズムは、自分を駒にして大自然に立向かうゲームである。勝ちは登頂と生還というご褒美で、負けは不成功敗退や不帰還の不名誉である。その為、自分はアルピニズムを知的ゲームだと捉えている。それは徹底的な敗北を不帰還と考えているからである。命を賭けて山に登るのは良いが、命を失っては意味がないと思っている。自分も数人の友人を国内外の山で失った。敗退して帰還後の人生は、そのツケで厳しくなる。しかしその厳しさに立向かえる力を得れるのも敗退の屈辱からである。人生、順風満帆では強かさは身に付かない。自分にとって、アルピニズムとは自分という芯を形成する基盤となったと考えている。
② 山と人世を振り返る
2度の遠征に敗れ満身創痍の身体で帰国した自分を待っていたのは、戦力外という大試練。さ(然)もありなん、4ヶ月の休暇を2度も取られ、成敗なしでは組織の示しが付かない。この人生の大試練に、怪我修復を含め今後の生き方を根本的に見直す必要に迫られた。① 世の中の厳しさを知る先ずは、山主体思考からの脱却と社会生活の充実。次に、山を続ける以上はと拒んでいた結婚と家庭生活。それには怪我の修復と出向先からの復帰が第一と考えた。今更、山に嵌まったばっかりと悔やんでみても始まらない。それでは前半の人生が無駄となる。先ずは治療、そして出向先からの帰還工作。再出発基盤の結婚は、窮すれば通ずでどうにかなった。独立独歩のプライドを捨てた復帰工作は功を奏したが、戦力外扱いは情けなかった。② ならばどうする当時、東京でも会社は海外物件に手を染め始めていた。しかし携わっていたのは、営業の海外担当と技術の一部だけであった。そんな山師的な仕事に、他のメンバーは敬遠しがちであった。もう自分に常道はない。そんな嫌われ仕事に、自分も組込まれた。③ 心機一転・転んでも馬の糞敬遠仕事でも何でもやろう。自分に失うものは何もないし。幸か不幸かこの仕事は、現地インドの都合で製作据付を待たずに設計だけで終了となった。この一件以後、小生の英語力が認められ海外物件に加わるようになった。その後大型物件が入り込み、当方は現地アメリカに設計作図・製作据付・試運転調整に2年間行くことになる。結果は大赤字に終わったが、通訳付の本社現地大所帯に対して東京の現地小所帯が評価され、全社的海外物件担当のリストに加えられるようになった。④ 更なる人世の倍返しを喰らう敗者復活戦に登場した小生に、待っていたのは次の試練だった。それは、海外支援隊員としての本社への転勤。定年を間近に控えての転勤は厳しい。当然、単身赴任である。イイ歳しての独り身生活だから、結果明らかなカウチボテト族。加えて海外出張での乱れ喰い。お陰で体重は10キロ増というてい(体)たらく。⑥ 退職して再スタートとした第二の人生だが・・・成人病疾患で10キロ減量を余儀なくされた上、再就職は厳しいものだった。自分のキャリアに自信を持って登録した人材銀行だったが、反応は専門外の分野ばかり。初めて自分の分野が、ニッチであったことに気付く。1年間を失業保険のプータローで過ごし、そして気付いたのが第二の人生らしく生きるでした。⑦ そして、いま現在それは一度の人生、存分に生きることでした。山で得したものは何も思い付かないが、山の試練を通して鍛えられたことは確かだ。子供の頃のひよわ(貧弱)な体質は、一人前の男の強さを身に付けるようになり、その後の試練にも、結果したた(強)かに対応できることができた。そして現在、自在にかつ強(したた)かな生き方に努めている。
❸ もっと深く知りたい人へ❗
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